葛飾北斎

葛飾北斎

葛飾北斎の年譜
93回の引っ越しと30回以上の改名となんと慌ただしい葛飾北斎。
画を書くことに夢中で掃除もしない汚い部屋になってしまうので、何回も引っ越したというのでしょうか?

葛飾北斎主な年譜

西暦 年号年齢主な事蹟 主な作品
宝暦十年(1760)1歳九月二十三日、江戸本所割下水に生まれる
明和二年(1765)6歳この頃よりよく絵を描くようになったという
安永二年(1773)14歳この頃木版彫刻を学ぶ
安永七年(1778)19歳勝川春章に入門するか。
安永八年(1779)20歳「春朗」号で、作品を発表し始める。細判の役者絵「三代瀬川菊之丞正宗娘おれん」などを画く
安永九年(1780)21歳細判錦絵 《四代目岩井半四郎 おかる》(勝川春朗画)
天明五年(1785)26歳「春朗」改「群馬亭」の号を用いる。黄表紙『親譲鼻高名』
寛政四年(1792)33歳十二月八日、師・勝川春章没す。黄表紙『昔々桃太郎発端説話』
寛政六年(1794)35歳春朗号を廃して「俵屋宗理」黄表紙『福寿海无量品玉』
寛政七年(1795)36歳草第六天神脇町に移る摺物(大小)《座敷万歳》(宗理画)
寛政九年(1797)38歳狂歌本『柳の絲』(浅草庵市人撰・北斎宗理画)
寛政十年(1798)39歳林町三丁目甚兵衛店に移る「北斎辰政」へ改名、肉筆画《小野小町図》肉筆画《人を待つ美人図》
寛政十二年(1800)41歳狂歌本『東都名所一覧』
寛政十三年
享和元年(1801)
42歳画狂人北斎と号す黄表紙『児童文殊稚教訓』
享和三年(1803)44歳時太郎可候の号黄表紙『三国昔噺 和漢蘭雑話』
文化二年(1805)46歳九々蜃北斎 画狂老人北斎などの号肉筆画《中国武人図》 摺物《菅原の上》
文化三年(1806)47歳曲亭馬琴宅に寄宿大判錦絵《仮名手本忠臣蔵》
文化五年(1808)49歳八月二十四日、亀沢町に新宅を構え読本『近世怪談 霜夜星』
文化八年(1811)52歳読本の挿絵をめぐって馬琴と絶交したとする逸話あり(異論)読本『勢田橋竜女本地』
文化九年(1812)53歳名古屋に滞在。門人・牧墨僊宅に滞在中、絵手本『略画早指南 前編』
文化十四年(1817)58歳再び名古屋に滞在する絵手本『画本早引 前編』など
文化十五年
文政元年(1818)
59歳紀州へ旅大々判錦絵《東海道名所一覧》
文政二年(1819)60歳北斎改葛飾戴斗肉筆画《鵜飼図》
文政四年(1821)62歳北斎の娘(四女阿猶か)没す摺物揃物《楉垣連五番之内和漢画兄弟》
文政六年(1823)64歳川柳の号に「卍」を用いる。絵手本(前北斎為一先生図)
文政八年(1825)66歳『柳多留』八十五篇に序文を寄せる。「前北斎為一筆」と有) 東京国立博物館蔵
文政十年(1827)68歳中風を患うが自製の薬で回復肉筆画《歌占図》(北斎為一敬画) 大英博物館蔵
文政十一年(1828)69歳川柳の号に「万字」を用いる絵本『絵本庭訓往来 初編』(前北斎為一写)
文政十三年(1830)71歳浅草明王院地内五郎兵衛店に住む大判錦絵揃物《冨嶽三十六景》(北斎改為一筆ほか)刊行始まる
天保二年(1831)72歳西村屋与八の広告に《冨嶽三十六景》が見える大々判錦絵《鎌倉 江ノ嶋 大山 中判錦絵揃物《百物語》
天保四年(1833)74歳西村屋与八の広告に《諸国瀧廻り》が見える大判錦絵揃物《諸国瀧廻り》(前北斎為一筆)
天保五年(1834)75歳西村屋与八の広告に《諸国名橋奇覧》が見える大判錦絵揃物《諸国名橋奇覧》(
天保十年(1839)80歳本所石原片町と本所達磨横町に住む肉筆画《西瓜図》(画狂老人卍筆 )
天保十一年(1840)81歳房総方面へ旅する大々判錦絵《唐土名所之絵》
天保十二年(1841)82歳肉筆画《雲龍図》(試筆八十二翁卍
天保十四年(184384歳本年までに北斎の転居は六十回に及ぶ肉筆画《雪中張飛図》肉筆画《文昌星図(魁星図)》
天保十五年(1844)85歳向島小梅村に住む 信州小布施へ旅肉筆画《鍾馗騎獅図》《月みる虎図》《鼠と小槌図》《狐の嫁入図》
弘化二年(1845)86歳向島牛嶋神社扁額《須佐之男命厄神退治之図》
弘化三年(1846)87歳西両国に住 北斎の病気が再発『源氏一統志』《羅漢図》《朱描鍾馗図》
弘化四年(1847)88歳「三浦屋八右衛門」と称す。田町一丁目に住む肉筆画《向日葵図》《雷神図》《柳に燕》図》《赤壁の曹操図》
弘化五年(1848)89歳北斎の転居は九十三度目《地方測量之図》《鬼図》《狐狸図》
嘉永二年(1849)90歳浅草聖天町遍照院境内仮宅に没す。辞世の句は「飛と魂でゆくきさんじや夏の原」肉筆画《扇面散図》《雨中の虎図》《雲龍図》《富士越龍図》

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