富嶽三十六景

冨嶽三十六景 東都駿台 

冨嶽三十六景 東都駿台 (とうとすんだい)木版多色刷天保元−天保3年(1830-32)頃現在の文京区本郷付近に位置するこの場所は、この付近だけが高台になっていたことから富士がよく見えたという。画には荷を担ぐ行商の姿や、武士のであろ...
富嶽三十六景

冨嶽三十六景 武陽佃島

冨嶽三十六景 武陽(ぶよう)佃嶌(つくだじま)木版多色刷天保元−天保3年(1830-32)頃隅田川の河口で左側の島のような森に見えるのは石川島です。石川島は人足寄場(無宿人や引取人のいない刑余者を留置)です。江戸の入り口でたくさんの種類の...
富嶽三十六景

冨嶽三十六景 礫川雪ノ旦

冨嶽三十六景 礫川雪ノ旦 (こいしかわゆきのあした)東京都文京区春日二丁目・北野神社 礫川とは現在の小石川のことで小石の多い川が幾筋も流れていたためこの名前がついたと言われています。画は降り続いた雪が明け方に止んで周りは真っ白な雪景...
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冨嶽三十六景 江都駿河町三井見世略図

江都駿河町三井見世略図(えどするがちょうみついみせりゃくず)東京都中央区日本橋室町二丁目天保元−天保3年(1830-32)頃木版多色刷 画中の三井は、現在の三越百貨店の前身のことで、江戸時代は江戸屈指の呉服屋越後屋です。看板には「現...
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冨嶽三十六景 東都浅草本願寺

冨嶽三十六景 東都浅草本願寺 (とうとあさくさほんがんじ)東京都台東区西浅草一丁目浅草の東本願寺は1657年(明暦3年)に起きた明暦の大火以後、神田から現在地に移りました。広大な敷地であった本願寺は、二十一の子院と三十五の塔頭が居並ぶ広大...
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冨嶽三十六景 下目黒

冨嶽三十六景 下目黒(しもめぐろ)東京都目黒区下目黒天保1−天保3年(1830-32)頃木版多色刷 横大判錦絵 目黒は田園地帯で田畑が広がっていました。目黒は富士見の名所が多くありました。また、目黒は将軍家の鷹狩りの...
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冨嶽三十六景 本所立川

冨嶽三十六景 本所立川 (ほんじょたてかわ)東京都墨田区緑四丁目 立川は萬年橋の架かる小名木川に並行する掘割(地面を掘ってつくった水路)でこのあたりは、材木問屋の材木置き場が多くありました。北斎は相生町あたりから西南西に富士を描いて...
葛飾北斎

葛飾北斎

葛飾北斎の年譜93回の引っ越しと30回以上の改名となんと慌ただしい葛飾北斎。画を書くことに夢中で掃除もしない汚い部屋になってしまうので、何回も引っ越したというのでしょうか? 葛飾北斎主な年譜
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冨嶽三十六景 青山円座松

冨嶽三十六景 青山円座松(あおやまえんざまつ)東京都渋谷区神宮前・龍巌禅寺木版多色刷天保元−天保3年(1830-32)頃 円座松は、松並木の中で育ったことから、根元が複数に分かれ、その中に座るように幹が伸びる形をしています。また、太...
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冨嶽三十六景 江戸日本橋

冨嶽三十六景《江戸日本橋》(ふがくさんじゅうろっけい えどにほんばし)木版多色刷天保元−天保3年(1830-32)頃 日本橋は江戸時代において商業の中心地として栄えた日本橋を描いたものです。『日本橋』は、川沿いに架かる石橋を中心に、...
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